映画「関ヶ原」 大谷刑部の愛刀

前回は西軍から東軍に寝返った小早川秀秋の愛刀を紹介しました。今回は石田三成の盟友である大谷刑部の愛刀です。
「刑部」とは官位「刑部少輔」のことで本名は大谷吉継といいます。もとは豊臣秀吉の家臣であり、越前敦賀城主です。関ヶ原合戦時には重い病に患いながらも三成と共に奮戦しました。
様々な逸話がある刑部ですが、一番有名なのは関ヶ原敗戦後、小早川秀秋の陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と叫び、切腹、自害しました。その二年後に秀秋は原因不明の狂乱を起こし死亡していますが、はたしてそれは……。

敦賀正宗(つるがまさむね)

さて、大谷刑部の愛刀ですが『敦賀正宗(つるがまさむね)』といわれています。
相州正宗作の刀で刃長は二尺三寸三分(約七十・六センチ)です。刑部が自害した後、敦賀城主となった松平秀康が敦賀で入手しました。その後、嫡孫の光長の手にわたり隠居後、売りに出されました。それを薩摩の島津綱貴が江戸で買い上げました。
戦後、その所在は不明となっています。

様々な逸話を残した大谷刑部。映画では刑部の活躍も見逃せないところですね。
それにしても多くの人の手にわたった『敦賀正宗』は何処に消えたのでしょう。
もしかしたら、あなたの家に眠っているかもしれませんね。